編む人たち:
磐樹炙弦 / SOLAR3RD

 

 惑星詩人協会が発信するメディア、『SOLAR3RD』と『遊星』の交換インタビュー企画。

 前編は『SOLAR3RD』の編集人・磐樹炙弦氏が登場。
 現代魔術研究家、翻訳家、詩人など数多くの顔を持つ磐樹氏は、実は編集者としても多方面で活躍している。
 今まであまり語られてこなかった磐樹氏の編集観に迫る、かつてないインタビューとなった。

聴き手:西原雨天、シーナ(『遊星』編集部)

 

 

 

 

── 早速ですが、SOLAR3RDは何を発信するメディアなのでしょうか


 惑星詩人協会はアーティストなり占い師なり、何らかの発信や活動をしてる人が多く在籍しています。
 まずは「協会員の活動を可視化するための場」というニーズから始まりました。


 だから、とくに「こういう感じを表現したい」「こういうメッセージを発信したい」という思いはあまりないんです。せっかく協会員として集ってくれている人たちに、ささやかでもメディア機能を会員特典として提供したかった、という気持ちが一番です。まぁ特典というにはあまりにも弱小ですが……。


 あと「協会員同士の交流のきっかけを作れたら」という願い。
 どんなメディアでも、自分や知人が載ったら一応見るじゃないですか。で、他にどんな人が載ってるかも自然と見るわけで。そういう視線の交錯を生み出す装置のようなイメージがあって、そういう点ではギャザリングと同じです。


 ギャザリングは協会員以外の方との交流を生み出すことが主眼に置かれることが多いけど、Webジンなんてのはそれこそ自分に関係ある人しか見ません。『SOLAR3RD』は協会員同士の交流と便宜を促すことを主眼に考えましたね。

 

 

── これまで雑誌やWebジンの編集に携わったご経験はありましたか


 10代の頃に徳島のタウン誌で連載をしてました。あとはワープロで打った文字をゴム糊でレイアウトしたり、「編集」っていうのを楽しんではいたんです。
 そのあと仕事やプロジェクトでがっつり編集者をやったというのは……あるかな。ないかな。なんにしてもミニコミとか小規模なものでした。ちなみにログが残っているもので一番古いメディアは『月刊23曜日』です。


 仕事では、実は皆がびっくりするものをやってたりするんですよ。
 某機内誌のウェブ版とか。私が記事執筆や構成をしたわけではないですが、本誌のトピック記事をFlashで動的に見せ直したり、それなりに編集的視点を持ってやってました。あと、某お酒のウェブジンとか、何気にいろいろ。何にせよ私は、わりと最初から編集者目線でいろいろやってきたほうだと思います。クリエイター、アーティストていう自覚は乏しい方かと。編集好きなんよ。東京リチュアルも、編集者視点だったよね。

 

 

── そうなんですね! 東京リチュアルは磐樹さんの活動のなかでも中心的なものだと思いますが、何か編集的戦略があったんですか?


 「るみたん(編集者注:谷崎榴美さんのこと)」という存在を入り口に、キッズとクリエイターたちをどうやってオカルトの世界に誘い込むか、というのは非常にチャレンジングな編集的戦略だったのです。


 オカルトの世界は、入り口もおどろおどろしければ、中にいる人もおどろおどろしい。だから、入り口がキュピーン! とした感じにすれば、中の人もキュピーン! となってくるのでは、という予想のもと二人で緻密な戦略を立ててやってました。しかし、結果的にはあまりキュピーン! とした感じにはならなかったですね。精神分析的にいえば、本来のオカルトファンの防衛反応が思ったより強かった、という。でもまぁ、「メディア」として東京リチュアルのアウトプットを自己評価した場合、かなり満足度は高いです。あれはるみたんと私にしかできない仕事であったな、と。


 『学研ムー』がSNSやショップで、ちょっとポップに打ち出してくるタイミングに少し先行してるんですよ、東京リチュアルは。直接的な参照があったとは思わないけど、空気感というか、時代的な文脈を整理したというのはあったのでは。「あ、魔術や魔女ってこういう風に語ってもいいんだ」て皆が気付いたから、そう語られ始めたってのはきっとあるでしょう。まぁ時代的な必然、シンクロニシティだと思いますが。編集って、そういうシンクロニシティを真っ先に可視化することができる領域なんですよ。魔女や魔術師の新世代はいつでもどこにでもいるんだけど、それをフォントや色や文体で可視化するのは、魔女自身やアーティスト自身じゃなく、それをまなざしているエディターだったりすると思う。

 

 

── 今年6月から季刊誌『遊星』が始まりました。SOLAR3RDがWebマガジンであるのに対し、『遊星』は紙媒体という形を取っています。
 『SOLAR3RD』側からすると、遊星はどんなふうに目に写っていますか?


 まず、羨ましいですね。それから「あー、ちゃんと響いてるな」と感じます。つまり、情報やコミュニティをオタク的に自分が収集消費するだけじゃなくて、どうやって「響かせるか」という視点をきちんと継承してくれているのを感じました。画面から紙へ、という推移に。


 動きを生み出すには、場が揺れないと始まらない。『遊星』の「ギャザリングから紙へ」という動きは、例えば「オカルトの場をポッドキャストへ」という東京リチュアルの狙いの響きを感じて、理解したがゆえの選択だったのではないかと推測しました。『SOLAR3RD』は画面上のものだし、そもそも現代のコミュニケーション手段は主にSNSだし……っていう今ある安定した場を揺らすためには「コンビニプリントの季節新聞」っていうあの体裁は最適解だと思います。正直「やられた!」と思いました。


 あと羨ましいのが、投稿主体でつくってるところですね。私が過去につくってきたものは、投稿っていう要素はほぼなかったから。

 

── ありがとうございます。『SOLAR3RD』も『遊星』も同じ惑星詩人協会から出ているメディアですが、それぞれの個性がありますよね。


 『SOLAR3RD』は個人にスポットライトを当てるイメージ。
 『遊星』は人々が集まってわいわいやってる感じ。

 

── 例えるなら「ステージ」と「ダンスフロア」の違い、みたいな。


 うん。ステージもダンスフロアもどっちも好きだし、必要だと思う。
 両方あるのが最高じゃんね。

 

 

── それを踏まえた上で、Webメディアの魅力ってなんだと思いますか?


 いつでもタイポを直せるところ。
 ワンクリックで眼前を占拠できるところ。
 検索インデックスで、いつも新たな文脈に再配置され続けるところ。


 「ワンクリックで眼前を占拠する」みたいなWebジン的な表現は、スマホ画面でメディアを見ることが前提になってきた時点からあまりできなくなった。だから再び、タブレットとかでかい画面で見ることに特化したWebジンもちらほら出てきた。とにかく「このワンクリックで」ていうのが重要なわけ。


 ひるがえって『遊星』は、コンビニまで行って刷ってきて、座ってヨイショってA3の2面を広げるわけだから、なんていうかこう、イニシエーション度が高いよね。


 『SOLAR3RD』はあまりデザインとか機能とか凝ってなくて、WORD PRESSのテンプレをそのまま使ってたり。それは更新の負荷を極限まで下げて、エディターが数名でぽっぽこと記事を投入できるようにするためだったんだけど……まぁ最近は新記事も滞ってるよね。それでも「白い画面にジャンプ率が高い黒くてくっきりした文字」と「デカい写真」っていうのは最初から大切にしてる。


 あくまで商業的ではない団体内向けのメディアだから、見てる人の画面をとにかく汚したくない。静かで上品にしたくて。
 『翼の王国』の影響は強いと思います。

 

──『翼の王国』のどのようなところに影響を受けましたか?


 静かで上品なところ。
 フォントと余白だけなのに旅を想像させる、王者の風格がある。


 『翼の王国』って編集者の憧れみたいなメディアなんだけど、それ自体は商業媒体じゃないじゃん。売り上げとか関係ない。機内誌だからさ。そこからくる余裕、上品さ、余白に、なんか王者の風格を感じるのよ。「ああいうの作りたいなー」ってずっと思ってたのかもしれない。で、それが『SOLAR3RD』なのかも。静かすぎて更新もしてないけど。

 

 

── そんな磐樹さんが『翼の王国』以外で影響を受けた雑誌、あるいはWebマガジンはありますか?


 紙雑誌なら『TOKION』(TOKION)、『CAPE X』(ASCII)『Zavtone』(レゾナンス)。あと『STREET』(レンズ株式会社)かな。
 Webジンは最近なら『NOWNESS』。記事が面白いなと思うのは『SP!KED』。これはフェミニズムとかポリティコな記事が多いんだけど、スタンダップコメディアンが書いてたり。


 『TOKION』は私も原稿書いたりしたんだよね。日英両語表記なの。紙のフルカラー雑誌で、同じ原稿が日本語と英語で載ってる。すごい贅沢。クールでしたね。『CAPE X』と『Zavtone』は、紙がツルツルしてる。これも贅沢。余白デザインはツルピカが重要。安い紙とか萎える。

 

── その感覚はむしろ新鮮かも。我々は思春期〜成人したての頃にどんどん紙雑誌がなくなっていった世代なので、藁半紙にピャッて刷ってハイ出版! みたいなものも「かっこいい!」って思うんですよ。


 そういうのもあったね。とかいって女性誌は今もツルピカ、箔押し、型押し、なんでもありでしょ。でも私は、あれはうるさくて下品に感じるんだよ。あーでも今Zineが盛り上がってることも、リソグラフとか、ああいうピャッと刷ってホッチキスで止めてそっと配るってのがクールなのは共感する。『遊星』にはそういう美意識が漂ってますね。


 ちなみに『STREET』は東京、パリ、ロンドンのストリートファッションのスナップが載ってて、文字が一文字もないの。表紙に『STREET』って書いてるのが唯一の文字情報。


 思うに、私が影響を受けたメディア、こういうのつくりたいな、と思った原体験は、ぜんぶ無言感がすごいですね。日英併記の 『TOKION』も、読まない方のスペースはまるまる「文字情報」じゃないでしょ。俺はずっと、テレパシーのメディアを模索しているのかもしれない。


 Webジンで強く影響受けたものっていまだになくて。自分がつくってた『月刊23曜日』が、今でも自分にとっての理想的なWebジンなのよね。

 

── そうなんですね。ちなみに『月刊23曜日』の編集ポリシーはどんなものだったんでしょうか?


 あれは編集ポリシーっていうか……創刊号を見てもらえば、そこに全てある。


 どんどん無言になっていって、文字情報はぜんぶジョークみたいな。いまだにこれを理想形として追い求めてるなー。この時空を旅する小学五年生・雄大くんは、『BALANCE』(ソーラーシステム)っていう日本のフェスマガジンの草分け的なやつにスピンアウト連載もしたんだよね。


 なんかこれ、「編集者・磐樹全仕事」みたいだな。

 

 

── 今後、『SOLAR3RD』ではどのようなことを取り上げていきたいですか?

 

 新機軸とかはあまりやりたくなくて、淡々と立ち上げ当初から同じことを静かにやってるっていうのにしたいものよね。つまり、人の紹介。インタビュー。それを10年やってます、バズらないけど。みたいな。
 世界の惑星詩人たち。紳士淑女名鑑。みたいな。

 

── 最後の質問になりますが、編集者として『SOLAR3RD』をどんな人に知ってほしいですか?


 静かなメディアを求めている人たち。究極のところ、そこに魅力的な人がいれば、黙っててもいいわけで、最高品質インタビュージンとしては、名前と顔写真だけでもいい、みたいものが理想形。テレパシックインタビューマガジン。「何も書かれてないのに……読める……!?」みたいな。


 あと、編集者を目指してる人にある意味ハードコアな「メディアってこういうことだろ」という提示をし続けていたい。人がいて、出来事があって、俺は編集してお前は読んでんじゃん、今。みたいな。そういう体験、メッセージを、いつもワンクリック先に置いておきたいです。

 

── 本日はありがとうございました。

 

 

磐樹炙弦(ばんぎ・あぶづる)

惑星詩人協会フェロー。
翻訳にM.K.グリーア『タロットワークブック』、Rポラック『タロットバイブル』(共に朝日新聞出版)ほか。90年代半ばよりWebメディア『KAUNTAR ONLINE』『月刊23曜日』『東京リチュアル』など。
惑星詩人協会Webジン『SOLAR3RD』編集人。bangivanzabdul.net